
Last updated on January 4, 2012
容姿はちょっと見には日本人離れした良い男です??(父方が白髪で母方が禿の系統でした。白髪になったなぁ〜と思ってたら、最近は髪の毛がなくなって禿げてがっくりしています) 喋らせなければとても素敵な男なんですが、喋らせるとぼろが出てきます。10年以上も昔の話ですが、イタリアを旅行した時は、何の違和感もなく街中に溶けこむ事ができました。ただ、難点は外国語を喋るのが苦手なのです。英語もうまく話せないのですから、もちろん、イタリア語など全く話せるわけはありません。大阪に来られた日本語を話せないイタリア人とイタリア語を話せないインド人ご夫妻のお世話をしたこともあるのですが苦労したのでした。英語は40年以上も前から英字新聞を読んだりしてから、読むのはそれほど困らないのだけど、実際に聞いたり喋ったりするのと読むのとは、全く異なるものだと納得してる次第です。
仕事は何をしてるかといえば、人を無理矢理、薬で眠らせてしまったり、感覚をなくしてしまったりすることをしてます。意識のない間に本人に内緒の事をしてしまうという、端から見れば、人非人みたいな事を生活の生業としています。
今、私がはまっていることはバイク(自転車)を組み立てたりして乗ることでしょうか。仕事の関係でなかなかパラグライダー(後で書きます)に行くこともままにならなくなりました。インターネットで、昔の仕事仲間のBBSでロードバイク(自転車)の話を書いてるところに顔を出したりしてることもあったので、手近な運動ということでバイクに乗り始めました。バイクに乗るようになってそのまま乗るのではなくパーツを交換したりしていじり始めました。パーツはお小遣いで十分間に合う価格で手に入りますし、もともと工作が好きなので色々と触るのは楽しくなりました。昔と違ってサイクロコンピュータという速度や走行距離を計るものが格安で手に入るようになってました。どれくらいの速度とアベレージで走っているかなどが分かって楽しく走れるようになりました。地図が表示できるGPSがあるので道に迷うことはほとんどなくなりましたし、走った軌跡も分かるようになって、後で楽しむこともできるようになっています。
どんどん自転車に乗るのが楽しくなり長距離も走るようになりました。ブルベという長距離を一定の時間で走るというものがあって参加してみました。琵琶湖の周りを200kmを走ってみたら13時間半で走ることができました。自転車を初めたときに日帰りで日本海を見て帰ってくるというのを妄想したことがありました。でも、可能かもしれないと城崎を目指してみました。パラグライダーに行くときに通った青垣町を通過して行くので、往復で300kmぐらいかなと考えてましたが思ったより距離がありました。363kmを走って何とか23時間15分で日帰りができました。
ブルベで走っているから大丈夫だと思って吉野山岳グランフォンドを走りました。700mの峠越え1回と1000mの峠越えを2回して150km走るコースで最後尾になり、すぐ後を回収車が走っていました。その時はトリプルのクランクのクロモリのロードで走っていました。最後尾だったので途中で距離を20km余り縮めての完走となりました。その時、多くのライダーがカーボンフレームのロードに乗っていました。何とも悔しくてカーボンロードがどういうものか乗ってみたくなりました。ヤオフクで中古のTREK5500のカーボンフレームを手に入れました。アームストロングがツールドフランスで7連覇した時に初めて勝ったときに乗ったフレームです。クロモリのロードからパーツを外して組み立て乗ってみるとその違いは圧倒的でした。走ってみると維持できるスピードとかがまったく違っている異次元の世界でした。
何本かフレームを買って組み立て乗ってみると徐々にフレームの良さやホイールの違いが判るようになりました。懇意にしているところで安く手に入れたり、イギリスのショップが安いことが分かってフレームを輸入したり、ヤフオクで名車といわれるフレームを手に入れたりしたりしました。そんなで、現在、4台のカーボンフレームのロードに乗っています。
輪行用にとケルビムのCRというミニベロを持っていましたが事故って潰してしまいました。もう少し軽量のCRIというのをオーダーして作り直しました。山道用としてリジットのMTBを持っていますがほとんど乗っていません。
速く走ろうとして何度か無理をして事故をして大きな怪我をしてしまいました。今まで4度ほど大きな事故を起こしてしまい、仕事に穴をあけたりしたので、周りから自転車を止めたらと云われしまいました。現在は左の肩関節は脱臼したまま、腰椎は2椎体が圧迫骨折して潰れているという状態です。左のS1領域に神経根症状が残ってしまってりしてます。腰痛体操や柔軟体操をして何とかなるようになりました。自転車に乗って痛みがでることはあまりないようです。コサイの仲間と鈴鹿5時間エンデューロを走っても問題なかったですし、ロードバイクに本格的に乗れるようになっています。自転車に楽しい遊びなのでこれからは怪我をしないように人に迷惑をかけないように走りたいと思っています。なかなか落ち着いて走ることはできず、R170のバイパスで新しいバイクで71.3km/hrまで漕いでスピードを出したこともあります。またもや左手の親指を骨折してしまい、ちょっと不便な時期がありました。ケイデンスを上げて走っているとスマートな身体を手に入るようです。ロードを毎週乗っていると63s台ぐらいになるようです。
もう一つの趣味はパラグライダ−でした。自由に空を飛んでみたいという子供の頃のあこがれがパラグライダーでひょんな事でかないました。伏線は半世紀も前になると思いますが、湘南の藤沢に、家から自転車で行くこともできた藤沢飛行場という小型機専用の飛行場がありました。今の家のそばにも八尾飛行場というのがありますが。そこで、日本飛行連盟がバイパーというのか良く分かりませんが、タンデムの軽飛行機で自家用飛行機の操縦免許証の講習をやっているのを眺めていました。その頃、ノートに飛行機の絵を書いたり、飛行機の月刊誌を買ったりして、何時かは自分で作った飛行機で空を飛んでみたいと考えていました。大人になってからすっかりそんなことは忘れ去られていたのですが、パラグライダーを始めて、そんなことがあったのだと思い出しました。
若い人のようにすぐには上達することができず、一定のエリアなら自由に飛ぶことができるというパイロット証という資格を手にするのに、3年近くも掛かってしまいました。資格を取ることはできましたが、なかなかうまく飛ぶことができません。パラグライダーの道具は常に新しいものが誕生して来てます。以前なら一部の競技をしているパイロットしか乗れないような滑空性能を持った機体が、初心者でも扱えるようにと出てきています。しかし、機体の性能が上がるとともに値段も上がってしまい、気楽に買い換えることができなくなったのが残念です。また、機体の性能の方が優ってしまい、それを操縦する技術の方がついて行けなかったり、無理をする一面もあり、事故が起こったりするようです。パラグライダーを始めて、事故の多いのにはびっくりしました。大きな事故を起こしては、パラグライダーをすることを諦めなければなりません。自分も足の小指を骨折してるから、人のことは言えないのですが。年寄りの冷や水にはならないように注意しながら、なるべく安全な機体に乗り、無理なことはしないように、心して、空中散歩をのんびりと楽しくできたらと思っていました。ただ2004年は多くのベテランパイロットや初心者の方が亡くなられた年でした。GPSで飛行記録を残してカシミール3Dで描いてみたいと思っていましたが、もう飛ぶことはないのかなと思っています。